花に潜って

三姉妹の話と、わたしの時間

双子を妊娠×悪阻で入院(3)入院生活開始

かかりつけの産婦人科から夫の運転する車に乗り、市内の総合病院へ移動する。総合病院の駐車場は広く、屋外で、そこから救急受付への道のりのなんと遠いことか。さっきみたいに手をつく壁もないので、足を引きずるようにして、ずり、ずり、と亀の歩みでなんとか歩き、着いた受付のベンチに倒れこんで横になった。紹介状だとか保険証だとか、細かいことは夫に任せ、しばらくすると受付の女性がやってきた。 

「ご案内する病棟は三階ですが、エレベーターまで歩けます? その様子ではきびしいですね? 車椅子をもってきますね」

わたしは首だけ動かして同意した。ただ歩く、それさえも困難にさせる悪阻。

夫と長女は受付で入院説明などを聞くため残り、とにかくわたしだけは先に部屋へ案内されることになり、車椅子で入院する病棟の、部屋の、ベッドのすぐ横まで運んでもらった。四人部屋の窓際のベッドで、窓からは中庭が見える。

早速点滴ということになり、看護師さんが二人きて、血圧計測、検温、あれよあれよというまにソリューゲンという点滴がつながれた。そして突然のリバースにそなえて、ピンク色の、湾曲した深さのあるプラスチック容器にビニール袋をかけたものをわたされた。これで安心。お手洗いは部屋を出て廊下にあるし、たどり着くには、スリッパをはいてベッドからおりて点滴ポールをからからと引き連れ…って吐き気→嘔吐の間にそれをこなすのはどうしたって無理。

 

夫と長女がやってきて、着替えなどは翌日もってくると言う。このとき、2019年12月。まだほとんどの人は新型コロナウイルスについて知らなかった頃で、入院患者の面会はかなり自由だった。お母さんに会いにこようね、と夫は長女に言っていて、わたしも来てねと言った。そしてふたりは帰っていった。

長女を生んでから、いやむしろ生む前から、最大10時間くらいしか、わたしと長女は離れたことがなかった。それなのに、突然20時間以上毎日離れて過ごす! そのことにも驚きと戸惑いがあったせいで、長女たちが帰ったあとはベッドではらはら泣けてしまった。

 

入院初日、点滴されながらも黄色くて酸っぱい胃液をリバースする。唾液は絶え間なく出るので、そのピンク色のプラ容器に吐き続けた。唾液がたまるとこぼしたときに大変なので、様子を見に来た看護師さんにこまめにビニール袋をとりかえてもらった。

 

まさか入院することになるとは思わずに家を出てきたから、この日はジーパンにウールのタートルネックという格好。そのまま横になっていると、首にニットがちくちくして不快きわまりない。暖房きいてるんだし、脱いじゃおうかなと思ってはたと気がついた。点滴がつながっているから、脱げない!やれやれと諦めてこの日はそのまま眠った。

唾液つわりは、寝ようとしたっておかまいなしに唾液を吐かなければならないから、なかなか眠れない。唾液をぺっと吐き出して、そのつぎの「ぺっ」がくるより早く眠りの世界に行かなければならない。それでも救いだったのは、眠ってしまえば朝までは悪阻とおさらばできることだった。朝目覚めたら、その瞬間からはじまるけれど。

 

翌日。「悪阻で来たのかあ~、いま7週くらい? えっ、5週! まだそんななの!先が長いね…」と看護師さんに哀れみの目を向けられる。

この病院では悪阻の入院は毎朝、検温、血圧測定、お通じのチェックがある。そのほかにも数回様子を見にきてくださり、点滴の交換もかねて夜中もきてくれる。わたしの点滴は24時間連続で、1日につき500ml×4本で、二種類の液剤を交互に点滴する。片方の液剤は点滴痛というのがあって、わりと腕が痛い。

しかも脱水状態にあるため、針が血管に入りずらいらしく、なかなか一回ではうまく針がささらない。二回失敗すると選手交代と決まっているようで、初心者マークを名札につけた看護師さんが申し訳なさそうに「先輩よんできますね…」という。その先輩も失敗し、4回目にしてなんとか刺さる。

点滴を打ち続けていると、血管~周辺が張って硬くなる。そうすると良くないので、反対側の腕にチェンジ。それでも場所がなくなると、手の甲側から内側にチェンジ。とあれこれ両手首の周りの引っ越しを繰り返す点滴針。

点滴の内容は主に水分と栄養で、希望すれば吐き気止めもいれてもらえる。最初から混ぜてもらうのでもいいし、チューブに吐き気止めだけをつないで血管にダイレクトにいれてもいい。でもジャンジャンは入れられないらしく、1日1回まで。どちらにせよ、残念ながら、わたしには効き目がほぼなかった。が、いれなければもっともっともーっと気持ち悪いのかもと思って、とりあえずいれてもらっていた。

 

入院して最初の一週間、つまり6wのあいだはほとんどなにも口からはとらなかった。ポカリや緑茶をなめる程度にはトライしたが、飲むというほどの量ではない。

それでも1日最低1回は嘔吐した。黄色い胃液、そして、抹茶色の苦い液体。なんだ?胆汁? とにかくおそろしく苦い。これ以上苦いものがこの世にあるか?と思うくらい苦い。体液をもどしたあとの口腔内の不快さもひどい。水でゆすいでもゆすいでも味がとれないのだ。

嘔吐したらナースコールを押した。処理してもらうために。来てもらってもなおまだ吐き続けているときもあって、そんなときは背中をさすってくれる。

がんばってとはどの看護師さんも言わなかった。それはほんとうにありがたかった。

 

がんばる、という言葉は、わたしにとっては、「努力したり、工夫したりして、状況をよりよくするためにあれこれやってみること」というイメージがある。それ以外にもイメージはあるけど、そのひとつがこれ。

つわりの苦しみのなか、がんばれることなんてひとつもなかった。なにか悪いことをしたわけじゃない。なにかできることを怠ったわけでもない。むしろ、伝えたら、おめでとうといわれること。

ただ耐える。今を耐え、時間が過ぎ行くのをじっと待つ。苦しみながら、泣きながら、日々砂時計の砂が落ちていくのを、どうか早くと無理だとわかっている祈りとともに、待つしかなかった。

そこに、がんばるという言葉は不釣り合いにも程がある。

おめでたいことなんだから。自分で望んだことなんだから。

それは自分がいちばんよく知っている。

だけど、そういうポジティブな感覚をはるかに凌ぐ苦痛の嵐、あるいは暗黒、そこにぽつんとほっぽりだされたのは誰でもない、やはり私自身だ。がんばれだなんて、どうか、だれも、お願いだから、言わないで。そう思っていた。

そしてその想いは、一年以上経った今でも、良くないものだったとは思わない。自分が正常でいるために、ごく自然な感情だったと思う。