花に潜って

三姉妹の話と、わたしの時間

双子を妊娠×悪阻で入院(6)「読む」ことの再開

妊娠9w~10w。

つわりのピークとよくいわれる時期だが、5wから点滴加療しているおかげか、それまでよりは食べられるようになってきた。嘔吐のない日はなく、唾液量はたしかにピークだが。

この頃世間は、クリスマス。相部屋の向かいのベッドからは「今日の献立、チキンとプリンやって~」と喜びの声が。うらやましいけど、もし出してもらっても食べられない。

しかし!食べられそうなものを、神のお告げのごとく突然閃いたのです。それは…

でした。

って鯛のおかゆ?! そんなピンポイントな!ていうか鯛粥なんてこの30年の人生でたぶんいっぺんも食べたことないけど?なんで食べたことのないものを思いついた?

とつっこみどころ満載の閃き。でも、もうこれだ!それならいける! ということで実母にLINE。よろしくたのむ。実家に頼れる距離に住んでいたのは幸運の極み。

当時3歳の長女の日中の預け先としても、両家の実家にはかなり頼りました。もし両方の実家から遠くはなれて暮らしていたり、理由あって頼れない状況だったら、公的なあるいは民間の託児やベビーシッター等のサービスに、2ヶ月ほどお世話になっていたと思う。そのぶんの経費が浮いたことと、娘にとっては祖父母と長く過ごして、甘えたり叱られたりして、交流の幅が広がった良い体験になったこと、これはほんとうに感謝。ありがとう。まあそれは民間サービスであってもおなじメリットを享受していたかな。

 

この頃はコロナウイルスによる病院の面会制限など知る由もないころで、毎日夕方になると、長女とそのひ預かってくれていた祖父母の誰かがお見舞いにきてくれていました。そして長女がベッドの上に靴を脱いでよじのぼってきて、1時間ほどおしゃべりしたり絵を描いたりだきしめあったりなどして、会えない時間を埋めるような、母子の交流の時間をとっていました。

そして鯛のお粥も、タッパーにいれて母がもってきたのを、看護師さんにたのんでレンジであたためてきてもらい、おそるおそる食べ進める。おお…50mlくらい食べたぞ…

こうして毎日毎日、母がこしらえた鯛のお粥をちびちびと食べ進めはじめました。

そして、それならばと主治医の提案で、病院食もついにはじめてみることに。病院食にはいろんなレベルというか区分があって、わたしのは油分とカロリーを押さえたあっさりしてやわらかいものが出てくるタイプ。病院のおかゆが口にあわず食べられなかったので、はじめは主食抜きに。

はじめて病院食をだしてもらった朝、ほうれん草のおかか和えがあって、それを口にしたときの、広がるうまみは衝撃的。今も忘れない。三週間ほどのこととはいえ、極端にものを食べない日々のあとは、食べ物への感度が研ぎ澄まされていた。鈍感になるのではなく、敏感になることに、動物としての感覚がここにあると驚いた。

そうして葉野菜が食べられるようになり(しつこいようだが、お粥だろうが野菜だろうが食べられはしても毎日リバース)、ナスのおひたしも食べられた、豆とトマトのスープが飲めた、と、徐々にあっさりした野菜と穀類を食べられるようになっていき、

そうしていくと、精神的な部分でも、余裕が出てきた。本や漫画を読もうかな、動画でも見ようかな。あ、Wi-Fiないんだったわ。

てことで、夫に頼んで家の本棚から、漫画をどっさりもってきてもらい、読む、読む、読む、たまに吐く、読む。(ところでこのとき読んでたのは「神風怪盗ジャンヌ」「カードキャプターさくら」「ミントな僕ら」「パートナー」って年代がばれそうな少女漫画と、大人になってから出会って大好きな「宝石の国」「群青学舎」など)読んでいると気が紛れて吐き気を感じにくくなるようになってきたのもこの頃。ピークの始めは、気をまぎらわせる方法すら無いに等しかったので、その術を手にしてかなり精神的に回復。そして吐き戻すことも一日中一回だけになってきた。ありがたいありがたい。

そうこうしているうちに2019年の大晦日を迎え、お正月を迎えたのでした。こんなにも年末年始らしさを感じない冬は、記憶のない幼少期以来だと思う。 新しい年はいったいどうなるのか、考えるとグッタリしそうで、あまり深く考えることをあえてしないようにしていた。なるようになる。川の流れに浮いた一枚の葉っぱのような気持ちで。